70年代は本当にいろいりな音楽を聴いてきましたが、友達とかの影響もいろいろあった。
16歳の時、それまでまったく聴いていなかったポルナレフの音楽を、
同級生の2歳年上のお姉さんの影響で聴くようになり、はまってしまいました。
16歳の時、それまでまったく聴いていなかったポルナレフの音楽を、
同級生の2歳年上のお姉さんの影響で聴くようになり、はまってしまいました。
ミッシェル・ポルナレフのデビューは私がまだ小学校に上がる前の1966年、ビートルズが
全盛期を誇っていたこの年に、フランスで「ノン・ノン人形」でデビュー。
日本で最初にヒットしたのが1971年、今でも彼を代表する1曲「シェリーに口づけ」でした。
この曲が収録された日本でのデビューアルバムは40万枚を売上、人気はうなぎのぼり。
大きなサングラスとカーリー・ヘアー、奇抜なファッションと甘い歌声、
当時の女性のアイドルになるにはそう時間が掛からなかったでしょう。
友達のお姉さんもしかりで、友達の家に遊びに行くたびに、ポルナレフを聴かされて、
私もすっかり魅了されていった。。。というか、マインド・コントロールされたというか・・( ̄。 ̄ )ボソ...
しかし彼の人気もアメリカに移住した頃から下降線気味に。
アメリカに渡った彼は生活習慣の違いとかからノイローゼ気味になり、「自律神経失調症」も
わずらった事もあり、活動はほとんど止まってしまった。
彼の存在は人々の記憶からほとんど消えていた1998年、FIFAワールドカップフランス大会で、
日本のサポーターソングに「シェリーに口づけ」の替え歌「アレ!ジャポン!!」が採用され、
そして2000年にはauのCMソングに「シェリーに口づけ」が使われて、初のCD化。
リバイバルヒットする事になる。
そしてなんと、2007年にはlive活動も再開したらしいですよ!
前置きが長くなりました<(_ _)>
動画は「シェリーに口づけ」だと彼の甘い雰囲気がわからないと思うので、あえて60年代の
ポルナレフをご紹介しましょう。
ポルナレフって、最初からカーリーじゃなかったのね(笑)
全盛期を誇っていたこの年に、フランスで「ノン・ノン人形」でデビュー。
日本で最初にヒットしたのが1971年、今でも彼を代表する1曲「シェリーに口づけ」でした。
この曲が収録された日本でのデビューアルバムは40万枚を売上、人気はうなぎのぼり。
大きなサングラスとカーリー・ヘアー、奇抜なファッションと甘い歌声、
当時の女性のアイドルになるにはそう時間が掛からなかったでしょう。
友達のお姉さんもしかりで、友達の家に遊びに行くたびに、ポルナレフを聴かされて、
私もすっかり魅了されていった。。。というか、マインド・コントロールされたというか・・( ̄。 ̄ )ボソ...
しかし彼の人気もアメリカに移住した頃から下降線気味に。
アメリカに渡った彼は生活習慣の違いとかからノイローゼ気味になり、「自律神経失調症」も
わずらった事もあり、活動はほとんど止まってしまった。
彼の存在は人々の記憶からほとんど消えていた1998年、FIFAワールドカップフランス大会で、
日本のサポーターソングに「シェリーに口づけ」の替え歌「アレ!ジャポン!!」が採用され、
そして2000年にはauのCMソングに「シェリーに口づけ」が使われて、初のCD化。
リバイバルヒットする事になる。
そしてなんと、2007年にはlive活動も再開したらしいですよ!
前置きが長くなりました<(_ _)>
動画は「シェリーに口づけ」だと彼の甘い雰囲気がわからないと思うので、あえて60年代の
ポルナレフをご紹介しましょう。
ポルナレフって、最初からカーリーじゃなかったのね(笑)
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